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リニューアルオープンのお知らせ本日(11月27日)より展示を新たにリニューアルオープンしました!2週間の臨時休館を経て、大きく変化があります。これまでパネルでの写真展示を中心としていましたが、タペストリーに変更いたしました。その中で紹介している写真の…
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与那原駅舎新聞12月号を発行しました与那原駅舎新聞12月号を発行しました。与那原駅舎展示資料館および町内各区の掲示板のほか、PDF版もご覧いただけます。PDF版→駅舎新聞2024年12月号(1MB)開業110周年に向けたイベントのご紹介や新展示…
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沖縄県鉄道開通110周年記念イベントのお知らせ【沖縄県鉄道開通110周年記念】与那原駅前マルクト開催 このたび軽便与那原駅舎展示資料館は臨時の休館期間を設けて一部展示物の更新を行います。また今年は沖縄県鉄道与那原線が開通した1914年12月1日…
軽便与那原駅舎とは?
What’s about Yonabaru light rail station ?
かつて走っていた
流通の大動脈。
沖縄には、かつて鉄道が走っていました。
那覇から嘉手納・糸満そしてここ与那原の3方面に敷設された路線網です。
「軽便鉄道(けいべんてつどう)」と呼ばれる、一般の鉄道よりも軌間の小さなその鉄道は「ケイビン」「ケービン」の愛称をもって沖縄県民の生活と経済を支え続けてきました。
さらにここ与那原町の「軽便与那原駅」は1914年12月、沖縄で一番最初に開通した路線「与那原線(那覇-与那原)」の終着駅でもあったのです。
沖縄の生活と風景。
琉球時代より紡いできた文化や産業をさらに発展すべく、県民に重用されたその愛らしい小さな鉄道は、やがて沖縄の豊かな生活と美しい景色の象徴として欠かせないものとなりました。
しかし、時は1945年。
まさにこれからというその時、太平洋戦争によりその歩みは停められてしまいます。
そして忘れることのできない沖縄戦にて線路施設は戦火を受け、約30年の歴史に哀しみの幕を下ろすこととなりました。
鉄道の『足あと』。
そして与那原に残った『痕跡』はどうだったでしょうか。
他の駅舎が木造であったことに対し、コンクリート駅舎だった与那原駅舎は、激しい戦火にも耐え、わずかながら形を残しました。そしてその後の復興の中で、建物は補修を重ね、消防署・町役場・農協と、町の建造物として生活の中に溶け込んでいったのです。
そして2013年。
駅舎跡地でもあり長らく地域に馴染んでいた「農協」の近隣移転が決まります。
時は奇しくも、軽便鉄道の開通100周年、目前でした。
軽便鉄道 与那原駅舎。
「軽便与那原駅」をもう一度。
歴史や文化、建築方面などの専門家が力を合わせ、数少ない貴重な写真資料、当時を覚えている年配の方々からの聞き取りなどを行い、今は無き当時の駅舎の姿を、浮き彫りにしていきました。
そして2014年夏、戦後から約70年の時が流れ、
人々の生活、そして心も少しづつ復興する中、一足早く軽便与那原駅舎はその姿を復元させました。
わたしたちの軽便鉄道。
今でこそ軽便鉄道は走っていませんが、軽便鉄道与那原駅舎はこれからも駅舎のおしごとを続けてまいります。
子どもたちが過去を知るとともに、大切なものが決して失われることのない未来を作っていけるように。
大人たちが思い出す、ここ沖縄の美しい風景の記憶の中にいつもあの小さな列車が走れるように。
たくさんのたいせつな思いを未来へ運ぶために。
それが当軽便鉄道与那原駅舎としての役割だと思っています。