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与那原町立軽便鉄道与那原駅舎

           
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軽便与那原駅舎とは?
What’s about Yonabaru light rail station ?

沖縄に、
  かつて走っていた
     流通の大動脈。

沖縄には、かつて鉄道が走っていました。
那覇から嘉手納・糸満そしてここ与那原の3方面に敷設された路線網です。

「軽便鉄道(けいべんてつどう)」と呼ばれる、一般の鉄道よりも軌間の小さなその鉄道は「ケイビン」「ケービン」の愛称をもって沖縄県民の生活と経済を支え続けてきました。

さらにここ与那原町の「軽便与那原駅」は1914年12月、沖縄で一番最初に開通した路線「与那原線(那覇-与那原)」の終着駅でもあったのです。

沖縄には、かつて鉄道が走っていました
戦禍に奪われた
  沖縄の生活と風景。

琉球時代より紡いできた文化や産業をさらに発展すべく、県民に重用されたその愛らしい小さな鉄道は、やがて沖縄の豊かな生活と美しい景色の象徴として欠かせないものとなりました。

しかし、時は1945年。
まさにこれからというその時、太平洋戦争によりその歩みは停められてしまいます。

そして忘れることのできない沖縄戦にて線路施設は戦火を受け、約30年の歴史に哀しみの幕を下ろすこととなりました。

戦禍に奪われた沖縄の生活と風景
ひっそりと残り続けた、
   鉄道の『足あと』。

そして与那原に残った『痕跡』はどうだったでしょうか。

他の駅舎が木造であったことに対し、コンクリート駅舎だった与那原駅舎は、激しい戦火にも耐え、わずかながら形を残しました。そしてその後の復興の中で、建物は補修を重ね、消防署・町役場・農協と、町の建造物として生活の中に溶け込んでいったのです。

そして2013年。
駅舎跡地でもあり長らく地域に馴染んでいた「農協」の近隣移転が決まります。

時は奇しくも、軽便鉄道の開通100周年、目前でした。

ひっそりと残り続けた、鉄道の『足あと』。
そして蘇る、
  軽便鉄道 与那原駅舎。

「軽便与那原駅」をもう一度。

歴史や文化、建築方面などの専門家が力を合わせ、数少ない貴重な写真資料、当時を覚えている年配の方々からの聞き取りなどを行い、今は無き当時の駅舎の姿を、浮き彫りにしていきました。

そして2014年夏、戦後から約70年の時が流れ、
人々の生活、そして心も少しづつ復興する中、一足早く軽便与那原駅舎はその姿を復元させました。

戦禍に奪われた沖縄の生活と風景
いつまでも走り続ける
  わたしたちの軽便鉄道。

今でこそ軽便鉄道は走っていませんが、軽便鉄道与那原駅舎はこれからも駅舎のおしごとを続けてまいります。

子どもたちが過去を知るとともに、大切なものが決して失われることのない未来を作っていけるように。
大人たちが思い出す、ここ沖縄の美しい風景の記憶の中にいつもあの小さな列車が走れるように。

たくさんのたいせつな思いを未来へ運ぶために。

それが当軽便鉄道与那原駅舎としての役割だと思っています。

いつまでも走り続けるわたしたちの軽便鉄道。
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